父の末期がん闘病記

父の末期食道がんが寛解した時の詳細

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以前の記事とかなり重複する部分もありますが、父の末期食道がんが寛解した時の詳細を記してみます。

父の末期食道がんの治療を全て終えた後の大学病院の検査では、がん細胞がひとつも発見されませんでした。その後、担当医のY先生は前回と同様、「念のために・・・」と私と父に県立病院で検査をしてくるように勧めました。

現在のことは存じませんが、父の入院当時は県立病院のほうに最新のCT検査機器があって、大学病院よりも小さながんでも見る事ができたそうです。

私が、平日は父の付き添いができない旨を先生に告げたら「タクシーで行ってもらいましょう」と言われました。父はひとりでタクシーを呼び、県立病院で検査を行って検査データを持って大学病院へ帰りました。(全てのがん治療が終わったあとでも、父は一人でそのくらいノことができるくらい、カクシャクとしていました)

後日、大学病院の担当のY医師の呼ばれて、父を除く私と家族全員で検査データを前に説明を受けました。今でも覚えていますが、最初に「寛解です!」と言われました。

大学病院と県病院のCT検査の結果も、食道の4箇所から細胞を採取した生検の結果でも、がん細胞は一つも発見できないということでした。もちろん腫瘍マーカーも正常の範囲でした。

私たち家族は、小躍りして喜び、Y医師は「お父さんにも教えましょう」と言って4階の病室まで家族全員で父のもとへ行きました。そして、担当医師が父に「あなたの本当の病名は末期の食道がんだったのですが、寛解しました。」と伝えてしまったのです。

Y医師としては、消えないはずのがんが消えたのですから、嬉しさのあまりだったのでしょう。
(治療の前には、最高でも60%までしか、がんは小さくならないと言っていたのですから・・・)

ですが、担当の医師が父にがんだと告げたことが後後になって、尾を引いてしまうのです。

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